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日本の総理大臣に同行するビジネス関係者の訪問団に慌ただしく紛れて、UAE(アラブ首長国連邦)のアブダビに行ったことが2回ある。1度目は2013年、2度目は2018年のことで、どちらも首相は安倍晋三氏だった。
2018年4月末から5月初旬にかけて、アブダビで開催された「日本―UAE ビジネスフォーラム」は、2012年に日本が無事にUAEとの石油利権交渉を成功裏に終え、その勢いに載せてビジネスの側面から、軌道に乗りかけた提案や新しいアイディアを展開することがテーマだった。すなわち日本の自動車、建築、金融などに加えて、医療、教育、農産物や食材など、日本の生活や暮らし全般から商品を中東に送り出してきた、経済界の代表者たちが集っていた。経団連の幹部や企業の社長、教育機関の経営者、農業のベンチャーなど多士済々だった。
総理大臣が営業の先頭に立って、中東で日本のマスカットやトマトの売り込みや、中東では先行しているヨーロッパとの医療分野に、日本の医療機器を参入させるなど試行錯誤した5年間だった。それらを踏まえて、このアブダビで開催された ビジネスフォーラムも、今後へ向けてすべてのテーマ別会議が終わり、最後の記念写真撮影への準備が進んでいた。壇上では、よく国際会議で見かける光景、中央に日本の首相と経産大臣や大使が並び、UAE側も同等の大臣クラスが並ぼうとしていた。
私はと言えば、法人の代表としてなんとか役割を終え、緊張していた日程から解放されて、会場の前から3列目ぐらいの席から、壇上をながめていた。隣に座られたいかにも上品な方が私より先に立ち上がって「ご挨拶させていただきます。どこでお世話になるかわかりませんので」と言われて名刺を差し出された。私はお隣の方にご挨拶をするかどうか一瞬考えたのだが、閉会もまじかで会釈をしただけで座っていた。その名刺には「株式会社 大成建設 取締役社長」の名前が書かれていた。
しばらくすると、「山野さん、すみませんが日本側に女性が一人も壇上にいないので、行っていただけますか?」と省庁の若い担当者、箕輪さん(仮名)が慌てた様子で駆けつけてきた。勿論、「なぜ私が?」と聞かれるので、理由まで一緒にして依頼してきた。「UAEは女性が2人もいるのですよ」、と切実な声で言う。国内省庁の人は、おそらく中東では女性は誰もステージまで登らないと思い込んでいたのか、急に上司に言われたのかわからないが、ここでそもそも論を持ち出して、ぐずぐずしても仕方ない。洋服は辛うじてスーツだから行こうか。「私が場所までご案内しますので」と言って一緒に来てくれたのは当然だが、箕輪さんも私もそれからが大変だった。彼は、最前列から通してもらって最後列までたどり着こうとしたのだ。私も経験がないから、そういうものだと思い後から付いて行った。
すでに壇上に並んでいる紳士たち全員は、顔は笑顔ながら、私たちが通過したい隙間は意味があり、左右にとってある間隔は詰められないし、その場所からは絶対動けない。後から急にやってきた私が、そばを通過するだけとは限らず、割り込んで入ってくるかもしれないと警戒するのは当たり前で、後から闖入した私は明らかにルール違反だ。中央の首相により近く、序列か先着順かわからないが、その立ち位置は誰も絶対譲歩する必要はないし、私もそんなことお願いしていない。私は必死ではあったが、そのうちこの力仕事が無性に可笑しくなってきた。「通らせてください!」笑い声とも泣き声ともつかない声で囁きながら、力いっぱい隙間に入り、銅像のように手足も胴体もびくともしない人達をかきわけて、まず最前列から2列目へと突破した。最後列、3列目に入ると、隣になった背の高い人が、どうぞ、どうぞと間隔を調整してくださって、ようやく正面を向いた。その紳士はさきほど、「どこでお世話になるかわからないので」と言われて名刺交換をした大成建設の社長さんだった。さっそくお世話になったのは私でした。
帰国後まもなく、箕輪さんが出来上がった、そのステージ上の集合写真を入手して謝りに来た。認識不足や準備不足などの反省や、写真を私に届けることよりも、本心は、写真を眺めて、このシーンにまつわる厳しさと恥ずかしさを、ただただ体力で乗り越えた自分たちの顛末を、心行くまで分かち合いたかったに違いない。
写真自体はさすがに素晴らしいものだった。しかし、壇上でようやく最後列に到達できた苦労の甲斐もなく、私の姿は、立ち位置こそ日の丸の国旗の前で申し分ないが、前髪と額をわずかに見せながらも、姿はすっかり陥没していたのである。箕輪さんは笑いが収まると、「日の丸の前に立っている人は山野さんだと、証明できるのは私だけですね」と言っていた。口に出せない可笑しさと悲哀だった。

写真提供 内閣広報室
了

